和時計を制作しようとしてすぐに気づいたのが、午が上の文字盤と子が上の文字盤が混在していることでした。
子が午前0時で24時間で一周するわけですから、子が上にあるのは論理的工学的には正しい気がします。他方、午が上の文字盤ではお昼が上に来ますから、一日の太陽の動きに合っているように思います。
和時計や不定時法でネットを検索すると様々な情報がありますが、たとえば学研の「お江戸の科学」で不定時法を解説しているページでは、季節によって昼と夜の変化する様子を図解していますが、ここでは「子」が上の文字盤が描かれています。

国立天文台が運用している暦Wikiでも不定時法を解説していますが、ここで描かれている昼夜の長さの変化についても、子を上にした和時計の文字盤で描かれています。

ところが実物の和時計を多数展示しているセイコーミュージアム銀座のサイトで和時計の解説ページを見ると、同様の夏至と冬至でこんなに昼夜の長さが違うという解説で、「午」が上の文字盤が描かれています。


実際にセイコーミュージアムへ行ってみたところ、二挺天符式櫓時計など文字盤が固定されているものは「午」が上のものばかりで、割駒式文字盤のものも夏至で下半分がぐぐっと圧縮されているので上が「午」で間違いないようです。
また、現代の時計のように針が回転するものだけでなく、針は固定で文字盤が回転するタイプのものもありました。これは、国立科学博物館で展示されている万年時計(万年自鳴鐘)の和時計部分も同様で、時計の針は上に固定されていて割駒式で昼と夜の時刻が節気によって伸縮する文字盤が24時間で一回転するようになっています。

ところで、国立科学博物館には不定時法に関する解説展示もあり、和時計の文字盤を使って春分夏至秋分冬至の昼夜の長さの変化を図解しています。そして、この図解の文字盤は「子」が上になっているのです。

思うに、工学的な視点とか天文学的な視点からすると「子」=0時が上になっている方がしっくりくるのでこうした図解になっているのではないでしょうか。実際の時計では「午」が上の方が多いのはユーザー側の視点、太陽の動きにしたがって生活していた江戸の人々の感覚に寄り添っているためで、このことも不定時法が暦法に取り込まれるのが遅くなった要因であるのかもしれません。
和時計をガラパゴス化の嚆矢であると「このサイトについて」でも書きましたが、天文学や陰陽道に基づいて暦法を算定していた朝廷陰陽寮や幕府天文方の学者達が定時法を前提とし、不定時法を無視し続けていたにも関わらず、和時計を製作していた現場のエンジニアは庶民の生活に寄り添って実際の運用に合わせたカスタマイズを徹底していたのだと思います。
