日本に機械式の時計が伝来したのは皆様ご存知のフランシスコ・ザビエルが戦国大名の大内義隆に献上したものだったようです。1551年のことだったようですが、当然のことながらこれは西洋式の定時法の時計でした。
和時計が初めて作られた年代は定かではないのですが、制作年代が判明している最古のものは1673年の「時計屋左兵衛」のものだそうなので、実に120年以上が経過してからのこととなります。室町時代には庶民の間で不定時法が定着していたそうなので、実際はもっと早くに制作されたものもあったのではないかと思われますが、なにしろ記録がほとんどないそうです。
不定時法を解決するため、江戸の職人は「機械の動き(調速)」と「時刻の見せ方(表示)」の両面で工夫を凝らしました。
A. 動作機構(調速機)の進化
一挺天符(いっちょうてんぷ): 棒状の振子の重りを手動で動かし、物理的に速度を変える初期の方式。
二挺天符(にちょうてんぷ): 昼夜の切り替えを自動化した画期的な仕組み。
円天符(えんてんぷ): 江戸後期に登場。バネ(ヒゲゼンマイ)の力で「定速運動」を行う機構。西洋時計に近い高精度な時を刻みます。
B. 表示方法(文字盤)の進化
割駒(わりごま)式: 文字盤の時刻目盛り(駒)を、節気ごとにスライドさせる方式。
節板(せつばん)式: 尺時計などで、季節に応じた目盛り間隔の板そのものを差し替える方式。
波板(なみいた)式: 季節の変化を「波状の曲線」で刻み、針を左右にスライドさせるだけで一年中調整不要な、和時計技術の到達点です。
幕末には「からくり儀右衛門」こと田中久重によって、最高傑作「万年自鳴鐘」が完成します。定速運動(円天符)をベースにしながら、複雑な歯車の組み合わせで不定時法や二十四節気を同時に表示する、当時の世界最高水準の精密機械でした。
1873年(明治6年)、近代化のため「定時法」が採用され、和時計はその役割を終えました。文明開化の象徴として各地に建てられたレンガ造りの時計塔は、社会全員で同じ時間を共有する「公的な時」の象徴でした。和時計が家の中で「個の時」を大切に刻んでいたのに対し、レンガの塔は新しい国家の歩みを告げる存在だったのです。そのため、レンガの塔に和時計が掛けられることはなく、時代は一気に西洋時計へと移り変わりました。
